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大学卒業時に於いて「いつかは必ず会社を作るのだ。」それ以外の目標は全く念頭になく、したがって会社訪問、或いは応募テストなどの就職活動には参加せず、
ただひたすら会社創業の方法を考えていました。会社創業の為には先ず、会社の仕組み、組織の中に入り感覚として修練していかなければならないと考えました。
そのためにはどうするか。私は税理士の道を選びました。今だからいえますが、己の夢を実現する近道と考えたからです。
そして、その実体験をもとに私なりに出た結論が「会社は人」という言葉になりました。
この事はまさに必須中の必須事項で、私の様な科学畑を歩いて来た者には全く無縁の発想でありました。
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旧制一年目の後期、当時台頭していた公認会計士試験に対応する為に、私の大学でも高等経理研究所というのが設立されたので、
簿記・会計・経営を強化すべく早速入所しました。
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大学入試の口頭試問時に、「君は昨日まで医学を学ぶ人間であったのに、
明日から経済を研究することになるが本当にやっていけるのか?」と試験官が首をひねっておられるので、
「私は昨日までいろんな即サイエンスを勉強しておりましたが、
サイエンスの研究方法をいささか理解することができるようになりました。医学は人間の身体を対象にした科学です。
それが明日から人間の身体ではなく人間の集団が行うことを対象とする一つのサイエンスなのです。
科学する方法が少し理解できているので何とかなると思います。」と答えたのを覚えています。
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しかし、理実は簡単ではありませんでした。この問題は大学在籍中絶えずのしかかる問題でした。兎角不得意学科を強化する為です。
しかし、この研究所は学問とは別の大きな収穫がいくつもありました。詳しくお伝えしようと思うと長くなってしまいますが、
当時は夜学でしたので、弁当を二つ持って行くほどの価値がありました。
ある日のゼミで、「戦後の大企業を復興させる為に作られた日本興行銀行がその役目を終え、今度は中小企業復興の為に衣替えをする。
では、どの様にしたら良いと思うのか?」と投げかけられました。教授陣の中に興行銀行のスタッフがおられたのです。
日本の金融行政のど真ん中にいるような気がしました。
同時に、その瞬間が科学畑からの卒業を実感した瞬間でもありました。
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ヤエス軽工業株式会社が産声をあげてからはや四十数年。
ことに、近年は時代の変化が速く、ニーズも細分化されてきています。
時代がわかれば人もわかる。人も変わればやることも変わる。
ヤエス軽工業株式会社は社会に調和する一人の人であってほしいと切に思います。
当たり前のことのようですが、実はとても難しいことだと思います。
しかし、創業当時の思いこそが、この言葉を具現化する唯一のエネルギーとなると信じています。
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